大事にしているモノへのコダワリ

某テレビ局の仕事でここ数日にわたり某先生と仕事をしている.某先生は私の関連業界では恐い存在と知られているものの,私が着任して以来,知られているほどの恐さではなく(恐くないわけではない),先生の部屋に呼ばれて打ち合わせや雑談をしている際にも,割とニコニコして対応してくれることが多かった.しかし,今週はちょっと違っていた.
この某先生は,かつては日本を代表する長距離ランナーであり,その後は箱根駅伝で我校を数度に渡り勝利へと導いた指導者として知られ,今や日本の陸上競技界を代表する人間である.そんな某先生と,私は今回初めて「ランニング」という共通のキーワードのもとで一緒に仕事をさせてもらうことになったわけだ.そして,スタートの合図とともにランナーが走り出した瞬間,私には某先生が豹変したように見えた.私や他の検者,そしてランナーたちに対して厳しい声が飛んで来た.私がこれまでにこの先生と付き合ってきた感じとは全く違い,気付けば私までもが怒鳴られるような結末であった.正直言ってビビッた.教員になってから,これほどまでに叱られることは無かったからか,まるで学生時代に戻ったような気分であり,その時には,正直言ってこの仕事を引き受けたのを後悔した.
しかし,その後,自分の研究室に戻り,冷静に考えてみると,あれがこの先生のランニングに対する「コダワリ」であったということに気付いた.競技であれ,実験であれ,それがランニングである限り,決して妥協はしない,そのような気持ちと取り組みが先生の自己記録を生み出し,そしてチームを勝利へと導いてきたのだろう,豹変した先生の姿は,まさに勝負師であった..
そんな事を考えた後に,自分自身のことを考えてみた.私の場合は競技ではないものの,ゼミナールを中心とした研究指導にここまでの「コダワリ」をもって取り組んできただろうか.私はこれまで,真剣に取り組まない学生に対して,特に厳しく対応しても来なかったのだが,その背景には,「結局,ツケは学生自身に返ってくる」と思っていたからである.しかし,現実にはそうではないのだ.もしも私自身が,この某先生ほどに研究に真剣・厳格に取り組んでいるのであれば,このような甘い対応はしてこなかったはずである.何故なら,自分自身が真剣に取り組んでいれば,そんないわば聖域に,中途半端な気持ちで入り込んできたり,土足で入り込んできたりするものを許せるはずが無いからである.つまり,某先生がランニングを大事にしてきたことによりランニングを極めたのに対して,私は中途半端な気持ちで研究をしてきたために,研究を大事にはして来なかったのかもしれない.
ということで,今後の自分自身の生き方を見つめなおそうと思う.