ふと気付けば6月も最終週である.早い.大学の前期講義も残るところあと数回(週)となった.年々と担当科目(コマ)数が増加しており,授業期間中に研究する時間が無くなって来ているので,漸く授業も終わるかといった感じである.とはいえ,今の大学に来て3年目となり,ゼミの学生も成長してきてくれて,授業期間中の研究活動が皆無ということは無くなって来た.今週末が締め切りの学会に向けてエントリー作業は確実に行いたい.
今日は昼間に早大で助手をしていた頃の同僚から電話をもらった.彼は思うところが有って大学の助手から高校教員になったのだが,5年間の高校教員生活を通して思うところがあるらしい.そんな彼へのアドバイスは,高校教員としての経験を生かして再度,大学の教員になるべきであるという事だった.組織としての目標や価値観は経営状態や構成員により流動的である.これについては大学とて同じであるが,大学教員の場合には研究室という単位で考えれば,自分の価値基準や興味関心に基づいて活動することが許されるわけだ.そういう意味でも,彼の目指すことは大学教員だからこそ出来るのではないだろうか.これについて,今ここで詳細に書くことは出来ないので,彼が再び大学教員として歩み始めることが出来たときには書き留めたいと思う.ただ,彼と話していたことの中で印象的だったことは,高校教員の場合は生徒が理解していなくて理解しようともしない場合には,それでもその生徒に何とか理解させること,何とかフォローすることが教員の仕事であるが,大学教員の場合には,理解できない学生が理解しようと努力しない場合には学生の自己責任である,ということであった.現実は大学とてそう簡単にはいかなくて,教員も色々と手古摺らされることがある,ってことは現在の勤務校に来てから感じたことであり,W大学しか経験したことの無い彼にはわからないことだろうなぁ....と思ったわけだ.