久々に母校を訪問した.あっ,埼玉大学の方ね.久々に訪問すると色々と変わっていてまるで浦島太郎だった.といのは大げさだが,先生の研究室が入っている校舎が変わっていたり,体育館が変わっていたりとあげだしたらきりがない.そうそう,学食はローソンになっていた.思えば卒業してから10年以上経過しているし,私が順大に来てからは訪問することもあまりなくなってしまった.
っで,埼玉大にはゼミ生の秋山くんを連れて行ったのだが,キャンパス内を移動していると,彼は「ジャージ姿の人がいませんねぇ.」と呟いていた.体育大学育ちの彼にとっては不思議な光景のようだ.私が在学中には,数千人居る学生の中にわずか数十名の体育学科の学生がジャージでウロウロしていると割と浮いてしまうので,上級生になり体育実技の受講が少なくなるとジャージでウロウロしなくなったし,そもそも電車やクルマで通学していたので,ジャージでは登校していなかった.一方,順大生はといえば,登校からジャージやスウェットで始まる.彼らは実技科目があるからというが,それでも汗をかくから着替えるだろうと思うのだがね.就職活動するときだけスーツを着たって孫にも衣装状態なので,日常からTPOを考えろと,私は日々いい続けているわけである.
そんな話はどうでも良いのだが,久々に母校を,そして恩師の有川先生を訪問したわけであるが,思い出話やら近況やらを話した.そんな中,グラウンド(トラック)の話になった.先生とトラックに行ったのだが,,私が在学中にはなかったタータン走路が1レーン分だけあった.どこかの競技場の改修の際の廃材らしいのだが,それでも雨が降れば使用不可能な土のトラックよりはかなりマシである.そして,この練習環境で石田は日本選手権をとったわけだとかいう話をしたのだが,このトラックをみていたら,順大の陸上競技場がまだまだイケルと思えてきた.そんな話を私と有川先生でしていたのを傍で聞いていた秋山くんはどう思っただろうか.
先生と話をしている中で,私が卒業してから多くの先生が定年になったり亡くなったりで退職したことが話題になった.先生方がやめる度に連絡をもらい最終講義にも出たりしていたので,それぞれの先生方が退職したことは知っていたが,名前を挙げると結構な数である.わずか10年でである.そのうち,私がこの大学を訪問しても,この大学は私のことを知らない先生ばかりになり,そのうち,全く訪問することも無くなってしまうのだろうと思うと,ふと心に風が吹いた.そうか,もしかしたら,順大に訪問してくる卒業生も,私の姿や名前を見ても知らない人と思っているのかもしれない.母校との関係が希薄になるのは何となく寂しいものである.特に,体育系大学の場合には,母校に強いアイデンティティを持っている人は多いから.今まであまり大事にしてこなかったけれども,もうちょっと大事にしたいな,などと思ったわけである.訪問した際に手渡されたOB会報と寄付の振込用紙は,私が住所変更を届け出ていなかったために先生の研究室に送り返されて来たものだが,このことが私が母校を大事にしていなかったことを物語っている.早速,会費と寄付を振込みに行こう.