水曜日の午前中はゼミの時間にしている.この時間は,ゼミの学部生に対しては私のオフィスアワーに位置づけており,卒論関連の相談や意見発言はこの時間に受け付けることにしている.出席した各学生に対して時間を提供し,進捗状況の報告でもプレゼンテーションでもするようにと指導しているのだが,彼らはこの時間をなかなか有意義に使うことが出来ずに居る.また,この時間を欠席したり,この時間を上手く利用しなかったにも関わらず,別の時間に卒論の相談をしてくる学生もいる.しかし,これを無制限に受け付けていたら,こちらのペースを大きく乱されることになるし,仕事が予定通りに進まなくなる可能性もある.こちらとしては,ちゃんとその時間を確保しているわけである.大学教員の仕事は学生指導だけではないのである.学生の予定にあわせていつでもウェルカムなどということはありえないだろう.
大学院生時代,自宅が大学から遠かったこともあり,私は大学(研究室)へ行く日を最小限にしようと思っていた時期がある.この考えの裏には,通学時間は無駄な時間であるという概念と,特に下級生(修士課程)だと,折角研究室にいったとしても先生や先輩から突然に用事や被験者を頼まれるために自分のペースが乱されたり,結局は何も出来なくなってしまうということがあった.しかし,今教員になって思うのは,実験系の学生にとってはデータあっての研究であるわけだし,研究の全ては大学にいるからこそ始まるということである.
今の勤務校にいると予備実験・本実験という言葉をよく耳にする.考えてみると,駒場に居たときにも所沢に居たときにもこれらの言葉を積極的に使う人はさほど居なかったと思われる.駒場も所沢も,一年を通して常に実験室が稼動していたが,そこで活動していた人々の行う実験は常に次の実験にリンクしているためにこれが予備でこれが本番という概念はなく,常に本番だったからなのかもしれない.
大学教員になり,自分のラボを持つようになって日々感じることは,学生時代にもっと実験したり論文を書いたりすれば良かったということである.教員になってしまうと,授業の準備に授業,会議の資料作りに会議,お金の計算,各種申請書の作成,学生の書いたレポートや論文の添削......とほとんど自分の研究には時間を割くことができない毎日である.ボスの下にいた時には,独立したら....なんてことを思い描くことがあったが,独立してみると大変なことの方が多い気がする.学生諸君,頑張ってくれたまえ.