データへの執着,終着

夕方,早大の研究室の大学院生で私の研究パートナーである高田くんに研究機材借用の電話をしている際に,高田くんから,教授がシドニーオリンピックの際のデータを私から貰うように指示ため,近日中に欲しいと言われた.正直言って,この時の私の心の中には,「シドニーオリンピックって5年も前のイベントだぞ?おいおい....」のような思いが宿った.シドニーオリンピックっていやぁ,息子が生れる前,ウチの夫婦が結婚した頃の話だよ.あるかなぁ,最近みていないなぁ...などと不安が立ち込めた.幸い,電話を切って5分後にはデータを発見したために,心は割りと晴れやかであったが,その時に7年前くらいの出来事,というか話を思い出した.
7年位前に,筑波大学の久野先生と渋谷へ飲みに行った時のこと,飲みの席にも関わらず研究の話をしていた私に,久野先生は非常に重い言葉を残したのだった.その内容は大よそ次の通り.「研究者としてやっていきたいのであれば,データに執着してデータを整理していなくてはダメだ.大学院生を指導していて思うのは,研究の出来る大学院生ほど,〜のデータ見せてと言うとすぐに出てくるものだ.逆に,研究の出来ない子ほど,なかなか出てこなかったり,結局出てこなかったりする.」.別に7年間忘れていた言葉ではなく,ちょくちょく思い出していた言葉だし,私が学生指導をするときにもしばしば盗用させて頂いていることばである,まさにその通りだと思う.しかし,まさか,今更自分に降りかかってくるとは思っても見なかった.一応,すぐに出てきたから良しとしよう.
しかし,最初の教授の言葉には続きがあり,それは「途中で止まっているプロジェクトだから完結させなくてはならない.」というものだった.私の恩師の金久先生は,実験してとったデータは,時間がかかっても必ず論文にすることに拘っている.是非見習いたいものだ.私はというと,業績数からも分かるように,かなり効率が悪いわけである.