仕事の一環として

朝の9時過ぎからテニスのレッスンを受講.世間的には「何を朝から遊んでいるのだ?」と思われるかもしれないが,この時間は私にとっては「仕事」である.スポーツ科学を,そしてバイオメカニクスを専門としているものとして,プロの指導を受け,その指導法や指導の媒介となる「ことば」を分析する,そしてついでに自分のテニスの腕も上達するわけである.ということで,私の中では,研究活動の一環である.
私の受講しているクラスは初級のため,初めて受講した時にはテニスラケットの持ち方から始まった.そしてこの日はスマッシュとサーブを習った.これまでに感じたのは,指導や学習が大変システマティックに構成されているということ,そしてコーチはテニスも上手いが教え方やトークが大変上手いということである.そしてこれまで見よう見真似の自己流でテニスをプレーしてきた私にとっては,自分のプレーがどのようなものであるかを客観的に判断されて,アドバイスするということは非常に貴重な時間である.
ところで,私の職場にもスポーツの指導者が大勢居るのは周知の通りである.大学スポーツの場合には,多くの場合,指導において「厳しさ」というのがつき物である.つまり,出来が悪かったり,集中していなかったりして「叱る(叱られる)」ということである.一方,私が通っているようなスクールにおいては,大学スポーツに見られるような「厳しさ」とは無縁である.仮に「厳しさ」などを見せようものならば,客は寄り付かなくなるかもしれない.では,コーチはどうしているのだろうかと思い,ちょっと観察してみた.すると,「厳しさ」という武器を使えないスクールのコーチの場合には,言葉やアクションの量を多くして伝える必要があるようだ.
私の通っているようなスクールの場合,生徒の多く(いや全て)は趣味としてスポーツを行っている.生徒達はテニスの試合に勝とうなどとは全く思っていないわけで,その時間に身体を動かして汗を流すことを楽しむわけである.一方,大学スポーツの場合には「真剣勝負」である.勝負の世界においては,運動することを楽しむのではなく,勝利すること,そしてそれに伴い拓ける道や可能性を楽しむわけである.したがって,この場で大学スポーツにおける「叱咤」を否定することはナンセンスな話である.
しかしながら,大学スポーツを経験した学生,とくに私が勤務している大学の学生達の大半は,卒業後には教員(体育教師)やスポーツクラブのインストラクターとして社会に出るわけである.体育教師の場合には,クラブの指導は叱咤激励の指導でも構わないのかもしれないが,体育の授業の場合には,多少は必要かもしれないが,それでも主たる目的は身体運動を楽しむことを伝えたり,身体運動を通して人間性の教育をする必要があるだろう.そして,スポーツクラブの場合は先述の通りである.従って,学生達はスポーツの指導といっても,指導される対象によって目的や手段はさまざまであるということを認識する必要があるだろう.
そんなことを考えながら受講しているので,テニスの腕は中々上達せず,テニス肘に悩むわけであるが,スポーツ科学者としては大変有意義な時間を送っている今日この頃である.ちなみに,これにより出勤時間はおそくなるのだが,ちゃんとその分は残業しておりますので,あしからず.......