「〜についてあなたの考えを述べなさい.」という問いに対して,大半の高校生は共通して「課題文は,」という言葉から書き出し,続いて〜の内容についての要約をする.これは,今日,高校生諸君が作文するとう場に居合わせたときのことである.私だったら,「私は○○と考える.何故ならば.....」といった具合で自分の考えを述べると思うのだが,何故,共通して「課題文は,」なのだろうか.
昨日,息子の幼稚園に提出する家庭状況調書を書いてあるときに,両親それぞれの趣味を記載する欄があった.両親の趣味を聞いてどうするのだろうか?と思ったのだが,聞かれているので書いた方が良いだろう,と思い,私の趣味について考えた.趣味と問われれば読書という答えは定番である.しかし,続いて,では最近読んだ本のタイトルは?とか作者は?などと追加質問されるのも定番である.そんな時に,教養のない本のタイトルを答えたり,自分が読んだ本のタイトルや作者も答えられないようだったら,本当は読書は趣味ではありません,と答えているようなものだ.あっ,勿論,調書だから追加質問はされないのだけれど.
最近,割と時間が足りていない気がする.それでも学生達は添削を頼んできたり,話を聞いて欲しいと言ったり,ミーティングの予定を入れてきたりする.勿論,それが仕事なのだが,仕事としてやっているからこそ,それらの依頼は勤務時間内にして欲しい.私もやらねばならぬことがあるのだから.そして私の勤務校では卒論提出まで1ヶ月を切り,最近では,これまではクラブ活動中心の生活を送り,あまり積極的に活動してこなかった学生も焦って実験をしに来たりする毎日である.焦るのは分かるが,これまで自分の好きに時間を費やして来ておいて,今更になってこちらを巻き込むのは,寛容に受け入れてくれる教員や学生も居るかもしれないが私はゴメンだ.他人の時間をタダだとは思わないで欲しい.そんなとき,勤務時間外に添削を持ってきた学生に「自分は学費を払っているのだから,見てもらっても当然だ」と思ってるだろう?と訪ねると.「ええ,多少は.」と答えた.こんな奴は自分が働くようにならないと気付かないのかもしれないが,教員はコンビニエンスストアではないので,何時でも店を開けているわけではないということを理解しほしい.そして研究室は研究成果を挙げることを科されており,それに同調して卒業研究をできるのであれば大歓迎だが,自分勝手なスケジュールでやりたいとか,卒論のためだけにやりたい,自分の好きなテーマでやりたいという学生は,私は迷惑に感じる.勿論,それを寛容に受け入れてくれる先生も大勢いるのかもしれないが,器の小さい今の私には無理なようである.
そんな器の小さい私のゼミは,学生達から人気が無いようで,希望者はあまり居なかった.別にゼロではないので,賛同しない人が入るよりはよっぽどいいのだが,やはり考えるものはある.見学に来る学生や他のゼミの先生からは,私のゼミは大変らしいと学生達が言っているということを,最近良く聞かされる.たしかに拘束時間が長かったり,やらねば成らぬことが多かったりするのは事実だが,それをこなすことにより自分が成長するこをを実感することが出来れば,何も苦痛に思うことはないと思うし,そもそも勉強しに来たのであれば,大変なのはある程度は当たり前だと思うのだが,私とはちと考えが違うようだ.