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昨日から今日まで茨城県鹿嶋市を訪れた.鹿嶋市は私が子供時代を過ごした街だ.もっとも私が住んでいた時代の鹿嶋市鹿嶋市ではなくて鹿島町だったし,アントラーズもなくてマスコミからは「陸の孤島」などと呼ばれる街であった.今回訪問した理由は,私が近く(印旛村)に勤務するようになったことがきっかけで,小中学校時代の同級生が同窓会を開催してくれたからだった.急な開催だったし,多忙な時期でもあったので,結局は数人が集まったに過ぎないが,それでも殆どのメンバーとは20年振りの再会だった.当然,みんな見た目が変わったわけであるが,皆が20年前の思い出を語り合い,誰もが小学生時代の気分に戻ったひと時だったのではないだろうか.
人は過去を振り返ってばかりいては前進することができないが,今回は子供時代の自分を振り返ることにより,これから数年,十数年後の自分を考える良い機会となった気がする.つまり,鹿島から東京に出てきたときの思い,その後,高校,大学そして大学院へ進学する度に描いた思い,大学に就職することにしたときの気持ちをもう一度確認することができたわけである.このことは,私が順天堂大学に赴任してちょうど1年が経過した今,自分の軌道を微調整するいい機会になったはずである.さて,この先の私はどの様な道を辿ることになるのだろうか.
明日からは,ここ数週間に渡り企画してきた大きなプロジェクトが始動する.とりあえずは4年後を見据えたプロジェクトの始まりだ.4年後まで自分が仕事を任せて貰えるように頑張りたいものである.
 
写真は鹿嶋のヒーローであるジーコの像.鹿嶋市街にあるジャスコにはジーコ広場というものがあり,彼の栄光をたたえる像や写真が展示されている.


・研究するということ
篠原先生のページに「研究する」ということを考えるいい機会になる文章が記載されている.私の恩師の福永先生は,「研究するということは論文を書くこと」と常々仰っている.どんなに実験したとしても,その結果を論文として公表しなくては研究したことにはならないということだろう.とはいえ,私は物事を文章として表すことは,ご存知の通り,得意ではない.つまり,研究はしていないのである.自分のやっていること,考えていることを文章にのこしていきたいものである.まぁ,それだけでは篠原先生の仰る「研究」にはほど遠いのだろうけれど....