馴染みの店

私は住んでいる街や学校・勤務先のある街ごとに馴染みの店が出来るようになる.それほど外食する機会が多いということなのかもしれないが,馴染みの店というのは精神的にも,そして物理的にも良いものだ.例えば,今でも偶に学生時代に馴染みだった喫茶店を訪れると,店主さんや店員さんが非常に喜んでくれて,注文していない品を出してくれたり,代金をサービスしてくれたりするし,昔話やお互いの近況報告などで話題が弾むことがある.したがって,そのような店がある街を訪れるときには,なるべく店を訪れるようにしている.
ところが,今日,そんな馴染みの店のひとつがなくなっている事実を知った.所沢に住んでいる時に頻繁に家族で利用した店で,ウチの子も店主さんになついており,私も家族もこの店を利用するのを所沢を訪れる際の楽しみにしていた.我が家が千葉に引っ越す際には非常に残念がってくれていたし,千葉に転居してからも所沢を訪れた際にこの店を利用すると,店主さんがわざわざ出てきてくれて,非常に喜んでくれていたものだ.
今のように不景気な時代,店を経営するのがどれだけ困難であるのかは,テレビなどを見れば察しが着く.しかしながら,これで所沢に行く楽しみがひとつ消えてしまったわけであり残念である.
個人経営の店舗では馴染み客を非常に大事にしてくれる.その背景には馴染み客により店の経営が支えられているということがあるのかもしれない.だからこそ,大事にされる馴染み客も店を大事にしなくてはならないのだろ.....などと,あまり生産的ではないことを思い巡らせてしまったわけである.
ところで,こちらにきてからというもの,馴染みになる店がは全くない我が家である.