ナマイキなようだが....

前任校の早稲田大学にて非常勤講師として授業をしてきました.やはり,早稲田大学は教育設備が充実している,従って,さまざまな点で授業を進め易いと実感した.とはいえ,あれだけハイテクを取り入れた教育設備の背景には,それなりに高額な授業料という現実があるわけだ.
高額な授業料といえば,最近,現在の勤務校で
「高い学費を支払っているのだから,もっと懇切丁寧に指導するべきだ」
という学生の主張にであった.私立大学では授業料,取得単位そして授業回数から1回の講義に学生1人がおよそ5,000円を支払っている計算になるそうだ.従って,授業料を支払っている学生の立場から見れば,上記の主張は最もな話だ.教員が頻繁に休講をしたり,何回も何年も変わらぬ講義を繰り返したり,学生を放任していたりするのであれば,この主張は当然だと思われるかもしれない.学生には学び教授される権利があるわけだ.また,子をもつ親としては,お金を支払っているからにはそれなりのサービスを受けさせてやりたいと思うのはもっともかもしれない.
大学教員の仕事は教育に加えて研究がある.サービス機関である大学のスタッフとして,サービスを購入する客である学生に対して,教育を施すのが教員の仕事である.一方で,研究機関である大学のスタッフとして,自分の専門分野に関する最新情報や真理を追求することも仕事であると言える.この場合,教員は研究者として,給与や研究費を大学のみならず,国家の税金から助成金を貰っているわけであるから,研究成果を残す義務は単に大学内に発生するのではなく,国家レベルで発生するわけである.また,大学院を担当する教員の場合,教育と研究は切り離して考えられるのではなく,研究教育,つまり研究の方法を教育することになるのだろう.
ところで大学で教育をしていると,授業や研究指導の場面において,無気力な学生や,気力はあっても同じ間違いを何度指摘しても全く修正されず,同じ間違いを何度も繰り返す学生がいる.当然のことであるが,大学とは義務教育機関ではなくて,高等・専門教育機関である.したがって,意識レベルの低い学生は無理して学ぶ必要も資格もないはずである.また,意識は高くても,研究に必要な能力を持たない学生も学ぶ資格は無いはずである.もしも教員が業務として,このような学生の対応をすることを強いられるのであれば,教員は研究する時間を奪われることになる.このような場合,教員は教育や教育準備に費やす時間を奪われたり,研究成果を残すことを阻害されたりする.その結果,教員個人のみならず,大学や国家としての評価や成果が制限されることになり,このことは結果として,真面目に勉強しようとする学生のサービスを阻害することになる.
最近,大学に出勤すると,訪問者や電話が多くて30分間集中して仕事をすることが出来ずに居る.そのため,どうしても帰宅してから自宅でも仕事をしなくてはならなかったり,大学に行くことを控えて自宅で仕事をすることが多くなりつつある.学生によりよいサービスをするために,そしてより多くの研究成果を残すために,仕事を選ぶ勇気も必要なのかもしれない.ナマイキなようだが.......
あっ,また愚痴ね.