私が勤務校でゼミを開講してから1年3ヶ月が経過した.そして来週,卒論を提出する学生の研究計画書の締め切り日が迫っている.この締め切りは単に私が決めたものではなくて,学科として正式に求めているものである.スポーツ科学の研究は比較的倫理的な問題にセンシティブなので,この書類で倫理委員会関係の手続きも行われることになっている.従ってこの書類を期限までに提出することが出来ない学生は,事実上,卒論を提出する権利がないことを意味することになる.とはいえ,実際には10月にも再度提出する機会があるのだが,この提出日は今回の提出に止むを得ない理由により間に合わなかったものと,今回提出した学生が内容を変更したいと希望したときのために設けられたものである.従って,通常は今回提出できなかったものは,この時点で留年が決定することを意味するわけだ.
1年3ヶ月もゼミ活動を行っていると,活動への取り組み方は学生それぞれのため,学生間の能力差は明確になる.能力や意欲の高い学生は,半年ほど前から卒論に向けてそれなりの準備をしており,この時点で自分の取り組みたい内容を文章にまとめている.従って,今回はそれを踏まえて私がアドバイスをして,実際に取り組む内容や方向性を決定するという方向で進めている.このような学生はほぼ問題なく進められるのでいいのだが,問題はゼミ活動に消極的な学生や,ゼミは休んでも良い時間と思っている学生だ.
この手の学生は,相変わらず全く活動しないものと今になって焦るものに分かれる.前者は活動していないため,このような締め切りが迫っていることも知らないのかもしれない.後者は焦って参加し始めて,今になってやりたいことを主張しはじめたりするのだが,全くもって準備不足のため,話が話しになっていないし,実験してみたりしているようだが,やっていることはママゴト以下であったりするわけだ.そもそもこの1年3ヶ月の間に,私が出した課題をこなすことも出来ない学生が,やりたいことを主張するというのがおかしな話だ.なぜなら私はただ闇雲に課題を出してきたわけではなく,最終的に卒業研究が出来るようにということを考えながら課題をだしているからである.それに対して全く取り組むことが無かったり,途中で止めてしまっているような学生は,卒業論文なんて取り組む資格はないし,ましてややりたいことを主張する資格なんて無いのであろう.週に1度のゼミの時間にすら参加せずに居る学生は,その時間を好きに過ごしてきたのだから,それを棚に上げてどうにかしてくださいなどというのは全くムシが良すぎるわけだ.もう良い大人なんだから,責任は自分でとって欲しい.
他大学も含めて,活動的な研究室や研究成果を挙げている研究室では,学生の研究課題は研究室において決めた一環したものである.そうだからこそ,活動的で成果も上がっているのだろう.そして学生に好きなことをやらせている研究室ほど,そこからは何も生れていないものである.大学院まで含めて高学年の学生により構成されている研究室では,卒論は放任にしているところもあるようだが,私のゼミでは学部生がメインの学生なのである.そしてこの学部生をキチンと教育しないかぎり,今後の研究室の発展はありえないわけだ.
こんな文章を書くと,私の学生時代の先生方から何か言われそうだが,そうはいっても私は結果的には研究室の課題に取り組むことで博士論文作成まで行ったし,サボタージュしたときには,その付けは基本的には自分で解決してきたつもりだ.(もちろん,それを受け入れてくださった先生やサポートしてくださった先輩方には感謝しています.)過去はさておき,今私は研究室を運営しており,それを発展させなくてはならないのだから,それなりに一生懸命取り組んでいこうと思っているし,一生懸命やっている学生にはそれなりのサポートをして,取り組みの足りない学生は留年してもらっても構わないと思っている.大学は4年間で卒業しなくてはいけないわけではないし,そもそもゼミ生は自分でゼミを選んできているのだから.