ここ数日,ちょっとしたタイミングで無意識に学部生や大学院生のブックマークを目にする機会があったのだが,驚くことにこのページがリンクされているようだ.さらに,就職課の端末室(ローカル用語.本来は就職活動をするための端末室なのだが,1階にあることと利用規定が緩やかなことなどから,学内でもっともユーザーの多い端末室と思われる.)の前を通りかかるときに,学生がこのページを読んでいるのが目に入った.学生が読んでいることを考えると,もう少しまともなことを書かなくてはいけないと反省・反省.... とはいえ,大教室での講義でさえこんな感じなのだから構わぬだろう.
某委員会の業務について,委員長と委員(私)と事務職員さんとの間で意志の疎通が図られていないことが判明した.つまり,3名とも相手の誰かが仕事をしてくれているはずだと思っていたようだ.やはりコミュニケーションって大事だ.このことは学校運営業務に限らず,教育業務における学生との関係にも言えることだ.
今日で某講義科目が最終回だったため,成績評価についての説明をした.この内容は最初の講義でも説明したのだが確認の意味を含めて再度行った.評価は50%+αを出席点,50%をレポート点とする.αとするのは,出席票として毎回提出させているコメント用紙.これに書いてある内容をみれば授業への取り組み度が判断できるので参考にするため.ウチの大学はインカレや教育実習,養護実習があり講義の出席が多い.したがって,毎時間,欠席届けを提出してくるのだがこれを考慮しているときりがないので考慮しないことにしている.このことは初回の講義でも話をするのだが,いまだに欠席届を水戸黄門の印籠のように出してくる学生がいる.こんなものを提出しても,講義の時間にその場に居なくて,話を聞いていないという事実は変わらない.むしろだからこそ,休んだ学生は人一倍の努力をしなくてはならないということが分からないのだろう.そして毎回あることだが,かならず授業後に自分が何回欠席しているかを尋ねてくる輩がいる.正直言って,そんなこと知るか,自分の出席ぐらい自分で把握しろと言いたくなる.わざわざこちらで調べることでもないだろう.きょうもまたそんな2人組みに廊下で出くわした.私が別の授業に向かおうと廊下を歩いているにも関わらず,今から調べてくれと言っている.しかも,授業だからと断ると,あとで研究室に行くので教えてくれと言ってくる.まったくこいつらは自分を中心に地球が回っていると思っているのだろう(古い表現だ).出席回数の管理なんて採点期間にまとめて行うような作業であり,わざわざ休んだ学生のために特別にやっていられるか,というのが本音である.従って,今後ともこのような依頼には断固として応じませんので悪しからず.
授業に出ないにも立場をわきまえない学生といえば,別の場面でもそんな輩がいる.そいつはゼミの時間を堂々とやすみ,私には「どうしてもはずせない理由」と説明し,実は友人の誕生パーティーだったとか,弟が遊びに来ていたとかいうことだったらしいということが耳に入る.さらに就職活動という理由をまるでディズニーランドのフリーパスのように思っており,就職活動が終了したにも関わらずその理由を使い続けている.まるでプールの時間の度に月に何度も生理がくる女子高生のようだ.そんな輩が卒論提議書(研究計画書)提出期限間際のこの時期に泣きついてきた.にも関わらず,未だに「野球にこだわりがある」とかナマイキなことを言いっている.立場をわきまえない奴だ.しかも書いてきた文章は全く論理的ではなく稚拙であり非論理的だ.大学は義務教育ではなくて高等専門教育機関だ.そしてゼミナールは大学のオプションではなくて,特殊教育手段,つまり,特に専門性を追求して学ばせる手段であり,これを選ぶのは学生自身である.それにも関わらずサボり続けていて卒業論文が書けないというのでは,たとえ就職が内定していたとしても,そのような学生は卒業する資格はないということだろう.
とはいえ,これが理由で留年したとしても,その学生は来年も私のゼミに所属することになる.だから,正直言って今年卒業させてしまった方が楽といえば楽なのだ.しかしながら,他の学生はゼミ活動に対してそれなりに真剣に取り組んできたわけで,それらの学生にしてみたら,サボってきた学生を簡単に卒業させてしまうというのは到底納得の行く物ではないのだろう.さらにこのような甘さは次年度の学生指導に対しても尾を引くことになる.つまり,次年度学生は「どうせ」という言葉を使うことになるだろう.
さらに,ゼミナールや卒業研究は研究室の,そして大学の知力を生み出す源となるわけであり,このような適当な学生を放任する気質は研究室のアクティビティを低下させる原因となるのだ.これを読んだ人たちのなかには「学部生のレベルで...」と思う人もいるのかもしれないが,未だ大学院生が居ない我が研究室では学部生が活動の中心であり,このような学部教育が将来の大学院教育にも繋がってくると私は考えている.私が育った環境がそうであったように......   しかしなぁ,卒論の時にはあんなにダメな学生だったのに,大学院生になってみると真面目(に見える)大学院生もいるからなぁ,カイ.