清原選手・元木選手の引退を聞き思う.

清原選手と元木選手が巨人を退団することが報道された.どちらも超高校級といわれて巨人に入団することを希望しながらも,ドラフト会議という制度により回り道をし,それでもなお巨人に拘った結果入団したという選手だ.清原選手は10年間を西武ライオンズで過ごし,西武ライオンズの看板選手となった上でフリーエージェント制度により,ジャイアンツ入りの夢を達成した.一方,元木選手は高校3年時のドラフト会議ではダイエーホークスが交渉権を獲得したために,交渉を拒否して高校卒業後に1年間の留学を経て,巨人入りした選手だ.そして諸事情により自由契約を言い渡された二人は今,別々の選択をした.清原選手は夢を巨人から野球に変えて野球選手として生きることを選択,一方の元木選手は,「巨人が好きだから」というコメントを残して引退を選択した.
大学で教鞭をとっていると,その大学へ入学することを熱望してきた学生と,他大学を志望したものの,力及ばずに入学してきた学生に出会う.私はそんな学生達に出会う度に,実は以前から,先の清原選手と元木選手のことを思い出すのであった.入学を熱望してきた選手には,入学したことに満足せずに,清原選手や元木選手のように,その大学を代表するような学生として成長し,活躍してもらいたい.そして他大学を希望しながらも入学してきた学生には,卒業後に,本来希望していた大学の卒業生に勝るとも劣らぬ学生に成長してもらいたい.そしてどちらのケースであったとしても,あなた達の活躍が,卒業した大学の名をあげて価値を高めることとなるのであろう.
引退という言葉は,本来はプロフェッショナルにしか当てはまらない言葉であはあるが,あえてアマチュアにまで引用すると,競技スポーツを行っていれば,誰しも経験しなければならないものだ.そして職業として競技スポーツに取り組むものにとっては,本人が継続を希望しても,それをサポートしてくれる企業あってのもだである.自由契約となった時に,清原選手のように現役を継続する場合には,企業の看板となりうる実力か潜在能力を持つことが必須であろう.そして元木選手のように評論家として生きていくためには,これからは野球をプレーする能力ではなくて,野球を言葉で伝える能力が問われるわけである.清原選手の場合はまだまだ看板と為りうるであろうし,饒舌な元木選手の場合も問題ないと思われる.しかし,これが知名度もそこそこで,喋りやユーモアもイマイチの選手であった場合には事態は深刻であろう.
私の勤務するスポーツ科学系の大学の場合にも,同様の心配事が存在する.オリンピックを始めとする国際大会にまで出場した選手については問題ないのであるが,それ以外の選手については,卒業後に職業として競技を継続するというのは,今の世の中ほぼ困難であろう.従って,高い競技力を持ち合わせない学生は,ちょっとしたスポーツ科学を言葉や文章で語ることが出来なくては,相手から大学で何を学んだのかと疑われる結果となるだろう.これは何も専門職に就く者だけに言えることではなく,全ての者に言えることだ.もはやレジャーランドとしての大学に通学した時代は終わり,大卒者には大卒者としての教養が問われる時代である.以前に参加した企業セミナーでは,企業の採用担当者からは,コンピュータを用いてデータを入力したりデータを検索する,ワープロ表計算ソフトを使いこなすような能力は企業に入ってから覚えることではなくて,大学を卒業した段階で当然持っていてもらいたいということを言われたことがある.さらに,某企業では卒業学部・学科は問わないが,それでも大学での成績の悪いものは,物事に取り組む姿勢が出来ていないと判断しているということも言われたことがある.いつかは引退しなくてはならない大学生アスリートだからこそ,競技以外に頑張らなくては為らないことがあるのだろう.しかし,私の周囲で実際に内定を貰っている学生を見ると,企業の採用試験や基準が如何にいい加減かということが良くわかる.
ところで私は今の勤務校に来てから,ちょっと変わった学生達が居ることに気付いた次第である.変わった学生とは,自分はアスリートとしては,さほど活躍しているわけでも無いにも関わらず,大学の部員として存在することに満足している学生達である.そしてこの学生達は,同級生やチームメイトの活躍を喜び,応援するものの,自分がトップアスリートとなり応援される側になることは有り得ないと考えているようである.また,この手の学生には,かといって勉学も熱心では無く,酷い場合には授業に出席しなかったり,出席していても堂々と居眠りしていたりする者も多いようである.チームメイトが活躍することは素晴らしいことだし,それを応援することも,勿論素晴らしいことである.しかしながら,その活躍により評価を受けるのは,活躍したアスリート本人だけであり,それを支えた縁の下の力持ちは評価されないのが通常である.(勿論,マネージャーやトレーナーとしての任務を全うした者については,クラブの先生からの熱い信頼と配慮が為されるであろう.ここではそれ以外の者のことである.)したがって,このような人たちは,自分が評価されるためには,別のフィールドで頑張る必要があるのだ.なぜなら,4年間クラブを頑張りましたとか,チームメイトとして支えましたなどという言葉を発したからといっても,それはあくまでも本人のなかでの満足であり,他人にとってみれば思い出はゼロ円であるからだ.このような学生には,別の分野で頑張り,それにより自分も評価されることをお薦めする.分野が違えば,そんな彼らにだって日本代表になる機会もあるかもしれないし.
話はかなり反れたが,個人的には清原選手には別の球団で頑張ってもらいたいと思う.野茂投手や小宮山投手のように,自由契約になり他球団に行っても,その後に求められて戻ってくるケースもあるわけだし.私も呼び戻されるような実力をつけられる様に頑張りたいものである.