先日,研究者とデータの話をしたばかりだが,その後 再び高田くんから別のデータの請求があった.これについては月曜日に早大に非常勤講師をしに行った際に,福永先生から「まさか捨ててないよなぁ.」と念を押されたばかりである.この時点では正直言って,内心「ヤバイ,あるかな?」と思ったわけである.久野理論で言えば最低な研究者ということになるのかもしれない.結果的には,捜索(創作ではない)した結果,幸いなことに無事発見することができたので最低ではないようだが,割と低空飛行な気がする.(よく判らない人には意味の判らない表現だ.)
ところで,私の研究室などには,デスクトップやノート型の古いコンピュータが多々置いてある.今となっては色も形もかなり古さを感じさせ,時には学生から「なんでこんなモノをとっておくんですか?」と尋ねられる.学生に実験室の掃除を任せたならば,捨てられかねない状況だ.現に,段々隅っこの方へと追いやられてる気がする.そんな古いものを置いてある理由の1つは,それを使っていた当時の思い出や思い入れがあるためである.しかし,リハウスのCMにもある通り,思い出はお金にならないものである.また,特にマッキントッシュには時代を感じさせるいい物があるため,ついつい取っておいて,時には飾ってしまうのである.そしてもう1つの理由としてはデータのバックアップがある.実はこれらのコンピュータの中には,現役当時い利用していたデータをそのまま入れてあったりする.勿論,別のメディアにバックアップはとってあるのだが,あえて,本体にも入れっぱなしにしてある.別メディアにバックアップしたデータでも,実際使おうとして開いてみると,データが開けなかったり,壊れていたりすることもある.そして,スマートメディアやZIPディスクに代表されるように,記録メディアは移り代わりが激しいために,折角バックアップをしたとしても,今となってはそれを読み取るドライブが存在しなくなっているものすらあるわけだ.それに対して,本体内にデータをとって置けば,かなり高い確率で読み取ったり,コピーすることができるわけである.そして今回,高田くんからデータの請求を受けた際にも,当時に使っていたコンピュータを開くことで,データを発見することができたのだ.
勿論,古くなったコンピュータを何時までも取っておくというのは,スペース的にも困難があるだろう.私も個室の研究室を貰えているからこそ,古いコンピュータを飾る(?)ことも出来ているが,大学院生時代や相部屋の助手時代には,それなりに肩身の狭い思いもした気がする.そして,コンピュータを買い換える際には,それまで使っていたものを下取りにする人も居るだろう.そういう意味ではなかなか難しいことではあるが,将来大学に就職することを希望する大学院生にとっては,とっておくのも役に立つかもしれないということである.それから,先日,旧型インターフェースに接続して実験機器に使っていたマックが壊れて起動しなくなったのだが,そんな時にも,とっておいたコンピュータが役になった.とっておくものである.