私の最近の日課であるが,夜に帰宅して妻と子が寝た後には書斎にて仕事(勉強)することにしている.ここで敢えて勉強としているのは,極力パソコンによる作業的な仕事は行わずに読み書きを中心とした仕事をすることにしているからだ.
私が学部生の頃,研究室には実験機材が充実していなかったために,家に持ち帰ってまで分析しなくてはならないデータは無かったし,何よりも専門知識が少なかったために,専門知識を増やすためにも,研究活動としての読み書きの時間が多かった気がする.ところが大学院生になった頃から,あらゆるデータはデジタル化され,大学でも自宅でも,時間や場所を構わずデータ分析やらスライド作成に時間を割いていた気がする.そうすると必然的にじっくりと読み書きをする時間はなくなり,自分でも知識不足や上辺だけの知識であることを認識していた.とはいえ,遣らねばならぬデータ分析やら,PCを使った仕事が多かったために,そしてクルマで通学していた私にとっては,本当に「読む」という時間は乏しかった.
最近では,ちょっとしたデータ分析は学生にやらせているということもあり,そして私は学生の行っている実験に適切なアドバイスをしなくてはという思いもあり,前述の通り,夜に自宅で行う仕事はPCを使わない読み書きの仕事を増やすことにしている.大学院生時代に読んだ本をじっくりと読み直したり,最近の本や論文を読んだりする.そうすると,「オレって本当に勉強不足だなぁ....」ということを実感する.「こんな仕事しているけれど,結局の所,何も判っていなかったんじゃないか.勉強しなくてはなぁ.」というのがホンネである.
私が大学院生の頃に,研究室の先生に言われたことであるが,「大学で行う仕事と家で行う仕事を分けた方がいい.」.これでは大学でも自宅でも仕事をしなくてはいけない状況であり,どちらかをサボるとどちらかが遅れるのも事実だが,実験やデータ分析も大事だが,知識を増やしたり,確認することも同様に大事であるのも事実である.こうして住みわけることにより,両方を上手くやり遂げるという術なのかもしれない.そして,こうすることによって,ダラダラと無意味(?)に夜に大学に居続けることもなく,仕事と家族との時間の両方を大事にすることができるわけで,「家庭あってこそ仕事がある」という私のポリシーも実現するわけだ.
大学教員はフレックスで楽な職業だなどと思う人もいるかもしれない.しかしながら,実情は常に勉強が必要な,結構大変な仕事だと実感する.とくに,最近はそれを痛感する.