博士論文の発表会が開催された.私は修士課程(前期博士課程)だけの担当であるのだが,色々な意味を含めて,今回は三演題全てを聞くことにした.一応,審査員以外の徴収からの質問も受け付けることになっているが,安易に質問が出来るような雰囲気でもなかったので,言いたいことは抄録に書き込むこととして,じっと見守ることにした.
しかしあれだなぁ.....博士論文が研究生活の集大成ではなくて研究者としての第一歩となった今や,その題目はシンプルである必要があるし,壮大ではなくて特化したものの方がいい気がする.「日本人の..」などとしてしまうと,国際比較を求められたり,日本人全般の傾向を期待されるわけだ.それから「構造を明らかにする」などとしてしまうと,構造を構成する全ての要因について検討し,さらにそれらの相互作用を検討する必要がある.しかし,短い期限内にそのような研究は無理なわけで,あの場合には「構造を明らかにする」のではなくて「傾向を捉える」くらいの方が結果的には適切であったと思われた.また,イベントを扱う社会調査の場合には,調査するタイミングが重要であることと,調査に時間がかかってしまう(というか時間が経たなくては結果が出ないもの)もあるので,なおさらであるが,彼が示したような壮大なテーマは適さないだろう.
3人目のプレゼンは,一つのテーマについて,ヒトでの調査から始まって,動物実験まで行うという,なかなか良いデザインだったと思う.ただし,「差は有意ではなかったのだけれど」といって考察したのはどうかと思う.白黒つける為に統計処理をしたわけで,この期に及んでアノ言葉はどうかと思った.「有意ではなかったのだけれど.....」というのであれば,もっと被験者数を増やすなどして確かめればよかったのだろう.
かく言う私の博士論文は大したものではなかった.そして主査の先生からは,「東大だったら不合格だった」とまで言われた.確かに,東大の博士論文は本審査に至るまでの条件も早大や順大に比べると厳しかったし,本審査も中々厳しく感じられた.とはいえ,各大学で「博士たる」基準があるわけで,結局のところは,その条件をクリアしていることが重要であろう.私が申請した際には副査の先生からは「学位なんて,とらなければ気持ちが悪いし,とっても食べられない,足の裏についた米粒のようなもの」と言われたものだ.しかし,今や,大学院生は博士学位を取得しないことには大学教員や研究所研究員になることすら難しくなったのであるのだから.
私の時代もそうであったが,今や研究者公募情報では博士学位が条件の場合が殆どである.したがって,したがって目出度くとれた場合にはチャレンジできる機会が増えるわけである.決して「とっても食べられない」わけでは無かったわけである.