学会発表(エントリー)用の抄録を作っていて色々と感じたこと.
学生時代には自分のものだけを作文すればよかったのだが,教員として就職した場合には,当たり前であるが,学生が作文したものに対して,指導教員としての「指導」,つまり添削をしなくてはならない.そうすると,自分のが未完成だったり,着手すらできていないのにも関わらず学生が添削を依頼して来た場合には,わりとそちらを優先して添削しなければならないのである.そして指導しなくてはならない数は,学部担当教員から大学院担当教員になると格段に増加する.色々と時間がとられるが,指導教員として,そして共同研究者としては仕方のないことである.まぁ,大学院生を大勢抱えることにより,研究室運営のメリットも大きいのだから......

ところで添削して,色々とやり取りをしていて気づいたのだが,学生には様々なケースがある.実験は一生懸命やるし良いデータがあるのだが,なかなか文章にならない学生.実験への取り組みはイマイチなのだが,腹の立つくらい,作文はちゃんと出来る学生.どちらもセンスの無い学生など.
抄録や論文を作成する際には,教員と学生との間で何度か文章のやり取りをするわけだが,自分の文章にかなりの自身を持っていて,赤ペンで添削しても,次にもってくるときには直っていない学生や,明らかにおかしいので赤ペンで直して,さらに口頭でもなぜダメかを伝えるのだが,なかなか納得しない学生がいる.私の経験上,この手の学生の場合,その後に作文が上手になるという例は少ない.それから,添削していて,やはりもとの文章の方がしっくりくるからといって私がもとの文章に直すことにイチイチ腹をたてたりやる気をなくする学生がいるが,こういう学生も大成しないだろう.作文ってのは添削してもらって,次回からはその文章の書き方を習って良い文章を作成することができるようになるものだろう,と私は思うのだ.ま,添削する私の文章が悪ければ仕方がないのだが.

それから結果に関してだが,何故か,学生たちの頭には,群間に有意差が無いとダメだという固定観念があるようだ.仮説では差があると思われるものに,実際に測定して統計的に比較してみたら有意差が見られなかった.それはそれで意外な発見であったり,仮説に何かが足りなかったという発見なので良いと思うのだが,学生達の多くが,統計ソフトと睨めっこして,アスタリスクが出てこないとディスプレイに向かってため息をついているのである.それから,「統計的には有意な差は無かったのだが平均値では差が見られ....」という表現をよく目にするのだが,そういう言い方をするのであれば,最初から統計処理なんてするなよ....と思ってしまうのである.